No.4(2009/2/22)


階名唱に思う
指揮者 木村茂雄


  私たちは、合唱曲を取り組むとき、どのようにして音を自分のものにしていくのでしょうか。一般に、ピアノの音を頼りに耳で聞いてピアノの音をなぞりながら覚えていっているようです。そのとき階名唱法を使うことがあると思います。この階名唱法には固定ド唱法と移動ド唱法の二つがあります。(階名唱は、いつ、どこで生まれたのかは、別の機会に書きましょう。)

 明治から戦後、昭和50年代くらいまで、日本ではドイツで普及していました移動ド唱法が主流を占めていました。しかし、フランス系の教育が導入された頃から、固定ド唱法が使われるようになりまして、桐朋系の「子どものための音楽教室」あたりで、この方法がとられたため、これが目新しく進歩的教育と安易にまねをする、特に巷のピアノ教室の先生は、この方法が簡単で、ピアノを教えるとき子どもに理解しやすいという信じがたい音楽教育が主流を占めてしまいました。その後、学校教育現場でも安易に流れてしまった感がありました。

 話は、飛びますが、私は現在、障害者理解への普及に力を入れていますが、日本人の中にある人権に対する考え方と言いますか、風土みたいなところで行き詰まることがよくあります。障害者への同情は、時に無意識のいじめでもあります。障害者の事実を語ることが許されない、辛い風土があります。私は、合唱にもそんな想いをするときがあります。

 私たちは、日本人であり、この国の文化をいやが上にも体にしみ付けています。音楽においても、西洋人とは違う音階やリズム、和声感覚を持っています。その日本人に西洋音楽を教育に取り入れたのは明治の賢人たちです。明治の賢人たちの西洋音楽に対する理解は、今の日本人には失われつつある物事への深い理解を感ずることがあります。例えば#(シャープ)を「嬰」と言う字に置き換えました。これには深い意味が託されています。彼らは、西洋音楽の根幹である機能和声を理解しようとしていたわけです。機能和声とは、つねに調性という概念を持っていたわけです。主音があり、属音があると言うことです。そこに調というものが生まれるわけです。ですから、ハ調からト調に移るとき#を必要とします。#は、新しい調を生む源のわけです。それはまさに幼子なのです。

 移動ド唱法は、端的言えば、調性音楽を演奏するときの基本みたいなものです。調性音楽は、ドから始まる七つの音のそれぞれに意味があります。西洋と違う日本の風土の中で、西洋音楽を理解しようとすれば、翻訳の手段を確立しなければなりません。調性音楽は純正に響く和音を大事にしますし、調を確率するカデンツが大切な意味を持っています。その翻訳の手段が移動ド唱法なのです。しかし、平均調律になじんでしまった私たちは、本当の意味の和音の美しさを知らないまま育ってしまいました。そして、ついに調性音楽まで無味乾燥な平均率を前提とした固定ド唱法が、何の反省もなく大手を振ってまかり通ることになってしまいました。障害者の世界においても西洋と日本の障害者理解の違いはいかんともしがたい格差を感じますが、意味もなく漂うように進む日本人の音楽文化の風土は、これで良いのだろうかと考えさせられる昨今です。b(フラット)を「変」と訳した明治の賢人に脱帽です。