No.2(2006/4/24)

ベルゴレージの「スタバト・マーテル」に寄せて
指揮者:木村茂雄

私は、もう40年も昔、国立(くにたち)音楽大学音楽教育科を卒業しました。その時私たちに音楽を教えてくれていたのが、日本の音楽教育に大きな功績を残された岡本敏明先生でした。私たちは生意気にも岡本先生を大びん、そして先生の一番弟子小山章三先生を小びんと言う愛称で呼ばせていただいておりました。

  小山先生からは教育現場に即通用する実践的音楽教育を教えてもらいました。岡本先生には、そうした実践的教育方法はもちろんですが、西洋音楽の根源を教えられたように思います。卒業が間近になったある時、先生は「キリスト教と西洋音楽は密接な関係がある」ことを語ってくださいました。その時の講義をいつまでも忘れることが出来ず、50歳を過ぎてキリスト教音楽にのめり込む羽目になりました。

  その直接のきっかけは、フェリス音楽大学で行われていた秋岡先生の西洋音楽史の講座を受講してからです。そこで聞いたバッハの「マタイ受難曲」の講義が私に火を付けてしまったのです。そして、ペルゴレージへと深入りすることになってしまいました。

  今回の第三回「合唱団ロンド」の演奏会は、ペルゴレージの「スタバト・マーテル」を演奏したいと言うのが出発点です。なぜイエスは殺されなければならなかったのか、十字架にかけられた我が子イエスを見る母の思いはいかばかりか、想いをはせるとたまらなく胸が締め付けられます。弦の一音、一音、合唱の一音、一音、何かほほをつたって流れる涙のように思えてならいわけです。特にこの曲には、他の誰の作品よりも深い悲しみが書かれているように思われてなりません。

  私は、よくキリスト教信者でもないのに、どうしてそんなにのめり込むのか?…と問われることがあります。「イエスの生き方に感銘しているからです。」と答えることにしています。単にそれだけなのです。

  この曲のイメージを絵画や彫刻にさがしてみますと、絵画にはティツィアーノ(1558)の「キリストの磔刑(たくけい)」があります。彫刻にはミケランジェロの「ピエタ」があります。どちらからも聖母の悲しみが染み渡ってきます。この曲の中に歌われるトリルの全ては悲しみにふるえる聖母の姿を表していると考えるのが普通だと思いますが、皆さんはどのように感じますでしょうか。



「ピエタ」


「キリストの磔刑」
十字架の上に見える「INRI」は、ユダヤ人の王であると言う意味です